総理の夫。
- 2021.09.30
- 小説
※すみません、映画・原作本の内容とは直接関係ありません。
彼との出会いは彼がお店にお客としてきたことがきっかけだ。
そこのお店は、プライバシーが徹底的に配慮された会員制であり
どこかのお偉いさんや社長、よく分からないお金持ちなどが来ていた。
その日、彼からの予約が突然入った。
16時、品川の待ち合わせのホテルに向かった。
初めてのお客の時はいつも以上に緊張する。
指定されたホテルについてドアをノックする。
扉から出てきた彼は、身長180センチくらい、年は40歳前後だろうか
短めの髪に清潔感のある肌、男前という言葉が似合う、そんな印象だった。
部屋の中に招き入れられると、「かわいいね、抱きしめていい?」という言葉と同時にギュッと抱きしめられた後、部屋の奥に連れられた。
行為後、彼から「今日はありがとう。」と目を見て言われた。そこのお店で働き始めて3ヶ月、お客からありがとうなんて言われたのは彼が初めてだった。
たいてい行為が終わると、まるで今までのことはなかったことにしてほしい、そんな風に帰り支度が始まり、お金だけ渡されて「じゃ。」とその一言だけだった。
それから、2週間に1回のペースで彼から予約が入るようになった。
定期的に会うようになって、最初のうちはホテルで会っていたのが
次第に決められた時間の中で外で食事をしたりお酒を飲んだりするようになった。
回を重ねる毎に彼のことが気になるようになっていた。
笑った時にできる目尻の皺が好きだった。
何をしている人なのか、もしかしたら既婚者なのか、彼のことは名前すら知らない。
最初に会った時、「何て呼んだらいいですか?」と聞いたら
「ヤスでお願いします。」と言われて以来、ヤスさんと呼んでいる。
はじめて会ってから数ヶ月が経った頃、別れ際に個人的な連絡先を渡した。
お店としてはルール違反である。
信用を失っただろうか、もしかしたらお店に報告されて辞めさせられたらもう会うこともできなくなるかもしれない。
そんなことを考えていると、3日後に彼から連絡が来た。
「連絡先、ありがとう。これからも会ってもらえるのかな?」
それからは彼からの連絡を待つ生活になった。
自分からは連絡をしない、それが自分なりのルールだった。
彼からは「○日予定空いてる?」とだけ来て、それに合わせる。
会った日は、食事に行ったり、映画を観に行ったり、そんな関係が続いていた。
ある日、お酒を飲んでいた時。
ふと彼が、「もっと住みやすい世の中だったらいいのに。」そんなことを言っていた。
「お願いがあるんだけど、良かったら一緒に旅行したいんだ。」と彼が言った。
そして、翌週京都に一泊旅行をした。
その旅行以降、彼からは連絡が来なくなった。
もともとただのお客さん、名前も知らない人だ、そう言い聞かせる毎日が続いた。
お店に残っていたらいずれ彼とまた会えるかもしれない、
そんな期待もあったが、お店のルールを破った後ろめたさもありそのままお店も辞めることにした。
若い頃のちょっと昔の過去の記憶。
あれから、15年が経った。
テレビでは次期首相候補者たちを伝えるニュースが流れていた。
テレビの中の見覚えのある顔に遠い過去の記憶を思い出す。
あの頃と変わらない目尻の皺。
僕が彼の夫になった未来、
僕らが彼らと結婚したり誰かの夫になったりする。
そんな未来。
別に僕が彼とどうなりたかったとかはない。
ただ、テレビで流れるニュースの次期首相候補の中にはもちろん女性もいる。
この先、総理の妻だけでなく、いろいろな総理の夫がいる、
そんな、少しだけ明るい新しい未来があるのかもしれない。
そんなことを考えながらテレビを見ていた。
(完)
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